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Iam Chono

東日本大震災で問われたプロレスラーの存在意義

東日本大震災で問われたプロレスラーの存在意義

2023.03.31

東日本大震災で問われたプロレスラーの存在意義

『蝶野正洋のオープンキャンパス』は3月11日に水戸でスタートしました。
3月11日は12年前に東日本大震災が発生した日。

蝶野さんが防災の啓発活動に取り組むきっかけにもなった、
あの震災のことを振り返っていただきました。

蝶野さんは「東日本大震災でスポーツ選手や芸能人などの娯楽・エンターテインメントに関わる人たちは、自分たちの社会的な役割に不安を持った」と語ります。

2011年、東京で被災した蝶野さんは、連日ニュースで報じられる震災の映像を目の当たりにしながら「電気や食べ物と違って、俺たちの作る娯楽は絶対的に必要なものではない」と無力さを痛感します。

何か出来ることはないかと思いながらも、何もできない自分に憤りすら感じていました。

そんななか震災から1ヶ月後、師匠であるアントニオ猪木さんから「被災地支援に行くぞ」とレスラー仲間に大号令がかかります。

しかし、周囲の反応は「まだ早すぎる」「今行けば売名行為と思われる」と消極的でした。
蝶野さん自身も戸惑ったそうですが、猪木さんは周囲の反対を押し切り、「被災地支援」を強行。
多くの支援物資を携えて現地に赴きます。
蝶野さんも不安を感じながら、猪木さんに付いて行きます。

被災地に到着すると、猪木さんに出発前の勢いはなく緊張している様子だったそうです。

避難所に入る前、蝶野さんは猪木さんが「元気ですかー!」の掛け声を言っていいものか躊躇っているようだったと話します。
平時なら間違いなく「元気ですかー!」で盛り上がるところ、しかし被災地で大変な苦労をしている皆さんにふさわしいのか・・・

やはり、猪木さんは一礼して避難所に入っていったそうです。

しかし、そこに一人の若い男性がやって来て「猪木さん!ビンタしてください!」と懇願します。

猪木さんは断りますが、男性は「吹っ切れないんです」と食い下がります。
男性の熱意に負けた猪木さんは、思いっきりビンタ。

すると、男性に続けと、あれよあれよと行列ができ、気づけば200人を超える人が猪木さんのビンタ待ちをしていたといいます。

蝶野さんは猪木さんの横で即席のサイン会を開き、ビンタされた人たちにサインを手渡します。

「支援に来たはずなのに、猪木さんは被災者をビンタして俺はサインを書いてる。
何してるんだろうと思った」と振り返る蝶野さんですが、ビンタされて喜ぶ人たちの顔を見て「俺たちエンターテイナーは、人々を勇気づけたりエネルギーを与える仕事なんだ」と再認識したと言います。

「俺も小さいころサッカーやプロレス、映画が好きだった。
熱い試合やいい映画を観たら、明日も頑張ろうと思えた。
被災地訪問で原点に戻れた気がした」

早すぎると反対された猪木さんと蝶野さんの被災地訪問ですが、多くのマスコミを引き連れたこともあり、2人の支援は大々的に報じられ、結果的に多くの芸能人やスポーツ選手が被災地支援を行うきっかけを作ることになりました。

師匠の大胆な行動力と熱い気持ちを継承した蝶野さんは、今年もエンターテイナーとしてはもちろん防災・救命の大切さを多くの人々に訴えるため全国を駆け回ります。

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